卒業した小学校は、開設1926年。
朝ドラの芋たこなんきんで、町子の友人の父親が校長の、尋常小学校の奉安殿が火災になる。
父親は、自殺する。
友人は、引っ越して行った。
かなり深刻なシーンだった。
検索すると出て来る、第58回。
初めて知った奉安殿。
戦後になって壊されたようだ。
たぶん私の小学校には、建物の中に有ったようだ。
聞いた事が無いが。
理科室の裏に準備室が有った。
ここには幻灯器やら、いろいろな理科に必要な物が、並んでいた記憶が有る。
ふと上を見ると、昭和天皇陛下と皇后陛下の、お写真が並んで飾られていた。(敬語です)
理科室も机を片づければ、広さが有る部屋だ。
ここが、奉安室だったのか。
芋たこなんきんを見て、一気に確信となった。
誰も、言わない。
ガラス瓶に入れられた標本も、たくさん置かれていた部屋も有った。
友達が、赤ん坊が入れられている、と言っていた。
気持ち悪いので、はっきりと見れなかった。
標本は、授業では見る事無かった。
断捨離出来ずに、置かれていたのかも知れない。
両陛下の写真を、ここで見たような気もする。(はっきりとしない)
その後に、校舎を建て替えた時に、これらはどうしたのか。
簡単にゴミにしたのでは、戦争を言い伝えられない。
奉安殿 ウィキペディア(Wikipedia)参考
当初は講堂や職員室・校長室内部に奉安所が設けられていた。しかしこの奉安所の場合、校舎火災や地震などによる校舎倒壊の際などに御真影が危険に晒される可能性が高く、また実際に関東大震災や空襲、校舎火災の際に御真影を守ろうとして殉職した校長の話がいくつか美談として伝えられている。このため、さらに万全を期して校舎内部の奉安所は金庫型へ改められ、また独立した「奉安殿」の建築が進められた。前者の校舎一体型は旧制中学などに多く、後者の独立建築型は小学校に多く見られた。
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